皇后陛下誕生日祝賀式典に参列、林官房長官夫人の着崩れ姿👘が物議を醸しております。

人は見た目、人は自分のことは棚上げしても、他人のことはあれこれ言えるものであり、言いたいものでもある。

「人は見た目」が9割とも100%とも。

目の前のゴミを拾えるか、ゴミを無視する、ゴミを踏みつけても、己の利益に生きるかではなかろうか。

社交とは、ゴミ(諸事万端に)を拾う(対処する)ようなもの、

己の前にぶら下げられた、社交上の出来事にどう向き合えるか、詮ずる所、「こころ」のあり方であろうかと。

「こころ」不在ともとられかねない今回の件は、「礼節」のあり方を如実に物語ってもいたわけで、林官房長官夫人は、ご自身の着物姿が問われ、着物選び、着付け、髪の毛までもが世間からの批判の的となったのでした。

妻の失態は同伴の夫も同じくである。それもしても、〝だらしなさ〟が浮き彫りにされる内閣ではある。

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政治家とは、何を置いても、国の象徴たる存在、己を支える支援者を大事にするべきと考えられます。

政治家並びに本人を支える家族及び関係者は、ゴミとしか映らない些細な煩わしさにどれだけ対処出来るかで政治家個人、政党としての真価が問われるのではないでしょうか。

林官房長官及び夫人は、拾う価値のあるゴミの見定めを見誤ったか、それとも、確信的行為か。いずれにしても、不敬極まりない失態を演じたことに変わりないのではと思われます。

社交上の交際(社交辞令も含め)は、相手の立場に立って、相手を気遣う事に他ならなく、極めて重要な人の生き様が問われる社会的営みの基本中の基本でもあろうかと存じます。

れいわ新選組が政権を目指すにも、対岸の火事ではなく、心掛けねばならぬ重大な課題でもあり、れいわは加えてボランティアあってのれいわである。

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