生年月日によって定められた「宿命」を学ぶことで、この世で授かった「役目」を知ることができ、運気に沿った生き方を実践することで、開運体質となり、「命」の如何に大切なこと、定められた変更不可能な「命」の器に、如何に「良い運」を運び入れられるかの工夫と努力、生き方の改良見直しを促し、「感謝」の気持ちを育める意義は計り知れない!

「運命」とは、自らの意思によって選択されるもので、「宿命」と言う生まれ持った「枠」の範囲で、運命を如何に稼働させて行くかは、宿命所有者の選択にあるということ。「環境」≒「運命」。宿命と運命の合算から奏でるハーモニーが織り成す「運勢」を形成するのは自らの行為。幸不幸の原因のすべては自分の責任と言う過酷な現実を直視することが占いを勉強する第一歩でもあるのです。

思い通りにならない人生とはいえ、人によっては、やることなすこと自己の意のままに進行する幸運な人たちも確かにおり、逆に、なにをやってもすっなり物事が進行せずに手違い勘違いの多い不運な人生を歩む人たちもいるのも事実ですが

店主は、後者であり、ややこしい問題が次から次へとだからこそ、占いと言う学問を晩年に学ぶ機会を得て、稀有な天然石に囲まれながらの余生を送れる「幸せ者」になれたのかなぁ、などと、今年起きた出来事を振り返り、なおも振り返り、自身の宿命(カルマ)と対峙しながらの反省と感謝の日々を過ごしております。

悩みと言うものは、形を変え、あの手この手で襲ってくるもの、もぐら叩きである。悩まない心の強い人になった方が手っ取り早い。そうは言っても心の強さも宿命ではある、そこで、店主の占い、心の弱い人はどうすればよいか、心の勁い人にはなれる、勁(ケイ、つよい)と読む。柔軟な心、心をバネにする、勁とはしなやかで強か(したたか)で、鍛錬された心とでも言えるであろうか、「勁草にあって疾風を知る」踏まれれば踏まれる度毎に強くなる勁草になれば、悩みと言う代物も草にあっては敵わない、草ほど強靭な存在も珍しい。

独身を貫いた孤独な店主、皮肉なもので、店主の今生の目的とするところは、「家庭」である。一人で生まれて一人で死んで逝く事実、この世のかりそめの家族、家族がおられる方は、とりもなおさず家庭を大事になさってください!家庭を持てなかった店主の魂の叫びとも言えるのです!

家族はどんな状況下でも助け合い生きるために支え合う最少集団、占い鑑定はできればご家族さま全員の命式を拝見するのが、「自分を知る」意味でも得策ではないかと存じます。身内は、シーソーの関係も成り立ち、運命の交換などの現象もある。深い話にはなりますが、親と子、きょうだい間などに

68日よりスタート予定の「占い庵」の鑑定メニューも追ってお知らせしますが、お客さまのご意見ご要望も受け付けておりますので、よろしくお願い申し上げます。

なお、弊社セオリーでの占いは、気学等々の方位などの鑑定、お水取りなどの指導はしておりません。ご理解いただきたくお願い申し上げます。上記の方法で開運された方も多く、否定するものでは決してありません。弊社のスタンスとしては取り入れてはおりません!それと、もう一つ、店主は、自己啓発的な概念が大嫌いでもあり、そのような開運法などのお勧めは一切しておりません!

弊社では、「常識」での判断に重きを置いており、占いを学ぶことによって、占うことなく判断できたらとの思いが、「自然」に生きるタオイストとしての店主の偽らざる心情であり、占いの役目、使命とするところと認識しております。

投稿日 2023/06/01